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1年半くらい前ですかね、私、宮城に旅行に行ってきたんですよ。

奥さん(当時は彼女)と毎年何回かは、泊まりで旅行に行ってるんですが、それでそのときは「宮城に行こう!」と私の独断で決定しましたw

目的としては、テレビでしか見れていなかった『被災地』を見に行きたかったためです。

そのときは、被災から3年弱は経っていました。

奥さんはこの話を出したとき、最初はあんまり乗り気じゃなかったですね。でも私はどーしても見に行きたかったし、奥さんとも地震のことを共有したかったので押しきって予定をたてました。

案外人って忘れやすいものだと思ってます。

あれだけ、スーパーやコンビニから水や食料が減ったことや、ガソリンが手に入らなかったこと、原発やら放射能。

あれだけ当時はテレビでも日常生活でも騒いでいたのに、今ではきっかけがないと思い出すこともあまりないかと思います。

そして、『被災地』の今を知ることも向こうに行って見るまでは、ほぼほぼ私も知らなかったです。

あんなにも大きい災害だったのに、これだけ記憶から薄くなってしまうのが嫌で、どうしてもその場を見て覚えておきたかったんです。

まぁ、一泊二日の短い旅だったので被災地の全てを回れたわけではなかったんですけどね。

でも、ホントに行けてよかったです。奥さんも帰り際には、涙が出そうな声で「来てよかった。」って言ってました

閖上

今現在がどうなっているかはわかりませんが、私が行った時の写真をいくつか紹介しますね。

まず、私が一番長く滞在したのが『閖上』(ゆりあげ)という場所です。仙台から近くの港町です。

高く丘になっているところから撮りました。

区画分けしている場所は全て家でした。

もっと大きい画像ですが、元はこんな感じです。

ホント、何もなかったんですよ。3年近く経っているんですが、何も。

全体的にこの景色が続きます。

仙台から向かう途中から、段々と家なども少なくなってきて、閖上に到着するときにはこの風景が全面に広がるんです。

それでも中には残っていた建物もあります。

「佐々直」さんという笹かまの工場(会社)です。

中は津波によってえぐりとられています。

ここには写真などが置いてあり、津波の当時の写真を見ることができます。

この場に唯一残っていた社長さんが屋上に逃げて、そこから撮った写真が見れます。

他にも、

こういった看板や、

多くの人に訪れてもらいたい」という思いから、「桜の木」を育てているところも見ることができます。

宮城で有名な観光地の1つに『松島』があります。

松島』のように人が多く訪れる場所は、やはり復興までが早いです

その場所が「経済的に回復する」ということが大きい要因だと思ってます。

そしてこの逆を言えば、人が訪れない場所は復興までに長い時間がかかるということです

だからこそ、『閖上』という場所は「桜の木」を育てて、人が一人でも多く訪れてくれるようにがんばっているんですよね。

この閖上には、こういった場所も作られていました。

お土産を買えたり、この場所ならではの食事、「被災」の瞬間をまとめた映像などを見ることができる建物です。

こういった映像を一時間くらいでしょうか、見せて頂きました。

当時、津波から逃げてきた方の絵を見ることも



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